02.Approximate
評論をしなくてはならない。
それに伴いテーマと軸となる書物を決めなければならない。
さて。最近ホットな学術的話題はないだろうかと考える。
一応何の縛りもないのでせっかくだし自分の興味分野に関わるものをやりたい。
私の専門は心理学なので心理学関連でいくつもりではあったが、何より心理学というのは世間の認識とかなりギャップがあり、参考文献を探してみたらくだらない(と言ってしまっては任意の著者に失礼だが)書物がたくさんヒットして嫌気がさしたのでやめた。
今日なぜか話題に上っているアドラー心理学なるものは個人的にあまり好んでいないのでやはりノータッチのままである。
心理学をやらないとなると、次に挙がるのは生物学なのだが、これまた難しい。
近代的生物学の研究というと外せないのがクローンだ。
確かにクローンについては賛否両論あるし評論もしやすいかもしれないが何よりこれにおいては最終的に倫理的問題に陥るのが必至であり、そうすると論理展開が循環し始めるところまで予測がついたのでボツとなった。
クローンではない他の生物学の話題を探してみたものの、やはり評論としての論理展開をするには結末が解明されすぎているものが多いのが現状だ。
事実は変えられないので、絶対的な解明がなされている話題について自分の意見を述べるということはある意味でとてもリスクが高く、巧妙かつ緻密な論理展開と隙のない理詰めが必要となるのでハードルが高くなる。
ということでいろいろ考えた結果、ロボットと人間の近似について研究を進めることにした。
ロボットなど機械系には全くと言っていいほど興味がないので少々迷ったが、しかしロボットと人間の対比、そして可能性を考えていく上で心理学的観点及び生物学的観点は議論の余地があるかなと思った次第である。
興味の幅、知識の幅を広げることに寛大であるけれど、あれやこれやと中途半端に手を出すのはどうにかしたい。
何より完璧主義なのである程度のクオリティを求めてしまうから、要するに自分の首を絞めるだけなのに…。
検討を祈るしかない。
…まとまりのない記事となってしまったなぁ。
01.Solitude
先日、孤独についてのとある本を読んだ。
諸富祥彦 著『孤独であるためのレッスン』
手に取るにあたり特に深い思いはなかったがさらっと読了したところ個人的になかなか面白かったのでここに残しておくことにする。
現代において、人々は孤独というものを恐れすぎている。
それは一人でいることの寂しさと生きにくさに加え周囲からの冷たい視線からなるものだが、そもそもそれらはこの社会が作り出しているものであり、つまりは私たち自身が生み出しているものだ。
学校から帰ってきた子供に対して親が聞く「お友達はできた?」「仲の良いお友達とはどう?うまくやれてる?」という何気ない質問には我が子が学校というコミュニティの中で孤立していないかの不安と心配がこもっているし、学校としても一人でいる生徒への対処を行うなど子供が一人でいることを問題視している様をよく見る。
不登校や引きこもりといった世間との関わりを遮断している状態も一種の孤独であると言えるが、これらは世間からの評価は冷たいものだ。
孤独は悪いことなのか。
そう問われると歯切れよくYesと答える人は案外少ないと思う。
孤独の何が悪いのか尋ねられて、説得力のある論理的な答えを出せる人は一体どれほどいるのだろう。
私事ではあるが、私の通う高校はいわゆる中高一貫の女子校であるが、この孤独に対してとても寛容な方だと体感している。
女子というのは生物学的にも本能的にも集団行動をしやすく、何につけても誰かと一緒にいたいと思うようになっていることが多い。
しかし常にそうしたいと思う人はなかなかいないだろう。
誰かと一緒にいたいと思う一方で、時には一人でいたい時もあるのが普通だ。
しかし周りはみんな誰かと一緒にいて、そんな中で自分は今一人でいたいから、と一人になることはできない、そう言い出せない、そんな環境がいたるところに溢れているように思う。
私の周りには移動教室の時一人で行くだとか、お弁当を一人で食べるだとか、単独行動をする人が一定数いる。
別にその人らに友達がいないというわけではない。
彼女たちにもそれぞれ仲のいい人がいて、しかし一定の距離感を保ちつつ、一人の時間を大切にしつつ、日々学校生活を送っているのだ。
だから自分が一人でいたいとき、一人でいても悪目立ちすることはないし、誰かと一緒にいたいとき、一緒にいる友達もいる。
他の学校に通う知り合いにこの話をしたところ、そんなのありえないと驚かれたのは驚きだった。
私自身、集団行動の必要性はある程度理解しているものの苦手としている人間であるから、この環境をよく考えたらとてもありがたいものであった。
当然学校でいう環境は校風と捉えることができ、学校ができてから今まで長年培われてきたものなのかなと思ったりもする。
さて、上記から察するように私は孤独に悪いイメージは全くなく、むしろ人間皆孤独であれとまでは言わないが、しかし孤独への恐怖を捨てるべきではないだろうかと思っている。
孤独であれること、それは強みである。
孤独に慣れていようがいまいが、孤独が好きか否か、そんな個人的な意見など関係なく孤独は誰にでも等しい確率で訪れるものであり、それはいつになるのか誰にもわからない。
もしかしたら生涯孤独を知らずに生きる人間もいるかもしれないが、それは相当な強運の持ち主である。
今この瞬間、他人と一緒に時を過ごしているとしても、本質的に見れば孤独である。
孤独と縁を切ることはできない。
孤独は私たちの内面に潜んでいるものであり、いくら外面的に体裁を整えたとしても、それは気休め及び一時的な防衛にしかならない。
いつ自分の内側で孤独というものが作用するかわからない。
強くあれ。孤独に向き合え。
それこそが、弱い存在である私たちが、少しでも強くなる一歩である。
受験勉強は時間と孤独との戦いだと実感している。